2014年1月

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「天地明察」 冲方丁著

「土(はに)とは、神道において宇宙を構成する万物の根源であり、その最終的な姿を意味している。神と霊と人の心とを結ぶもので、神も霊も心も、結局は同じものが別の形をとっているのだ、という道理をあらわす上で、なくてはならない言葉である。」

農薬や化学肥料に頼らず、土の力を引き出す農業では、目に見えるものだけではなく、目には見えないものを感じる力が必要になってくると思います。自然の理を知り、その理に基づく技術を見つけていかなくてはなりません。神道における土(はに)の考え方は、自然農業における土(つち)に通じるものがあります。もちろん、昔は農薬や化学肥料などがありませんでしたので、農業の始まりは自然農業でした。人々が生きるための食料を得るために行った古代の農業と、私が行っている自然農業は同じようなものですので、「土」のとらえ方は同じようなものになるはずです。

自然を見つめていると、目には見えないけれども、宇宙の力、地球の力、自然の力、生命力や魂などを無視して自然の理を理解することは出来ないかも知れないと思うのです。このようなことを知る手掛かりとして、古代からの宗教も一つに手掛かりになるのではないかと思っています。

隣の爺様が、昔は対岸に良くキツネ灯が見えたものだと話をしていました。キツネ灯が無くなったのか、それとも人間の感性が劣ってきたのか、どうなんでしょうね~。ちなみに、我が家には、三代前の爺様が白いキツネを鉄砲で撃ってしまったとの事で、それを祀るための祠があります。お稲荷さんは、実際はキツネではなく、キツネのような姿の神様とのこと。昔は、良くも悪くも、人間の世界と別の世界の交流が盛んだったのかも知れませんね。
まだ一月も始まったばかりと言うのに、雪に埋もれています。
小屋も、↓こんな感じ。
2階建てなのに、軒下の雪がもう少しで屋根に到達してしまいます。
ちなみに、屋根の雪降ろしは、既に4回しました。
このペースだと、あと少なくとも5回はしなければならない計算です。
次回の雪降ろしで屋根の高さまで雪が積み上がるので、
6回目以降は雪降ろしではなく、雪上げになってしまいます。
は~。勘弁して欲しいところです。


明けましておめでとうございます。

今年のお正月は、元旦から3日まで、奥さんの実家に行っておりました。
飲んで、食って、寝て。私の何ともお正月らしいお正月に奥さんも呆れ顔。
奥さんの実家は、大館市。同じ秋田県内ですが、夏場でも車で3時間ぐらい掛かります。
秋田県の南の端っこと、北の端っこ近くなので、結構な距離です。
冬場は雪道なので、天候によって掛かる時間が大きく違ってきます。

行きも帰りも、思ったほど雪が降らず、快適に走行出来ました。ずっと走って見て、やっぱり我が家周辺の雪の量が一番多いのです。雪の多少は、生活や農業に直接的な影響があります。雪の無い地域、雪の少ない地域と自分の地域を比べてしまうと、何ともやるせない気持ちになってしまいます。TPPや農政改革では、競争を煽っていますが、地理的条件、気象条件などで大きなハンデを抱えている地域では、スタートラインに立つ事すら出来ません。う~ん。さっぱり先が見えません。小さいながらも続けられる農業は、単なる産業ではなく、地域のセフティーネットでも有ります。それが続けられなくなったら、人が住むことが出来なくなります。上から目線の無責任な自由と言う名の暴力の行く末はどうなる事か。

ただ、自分の農業は明確です。自然と真摯に向き合い。より安心してご利用いただける農産物を育みます。物事は、お天道様のご機嫌を伺い、「土」と相談して決めます。今年もご愛顧いただければ幸いです。

今年も、皆様にとって笑顔一杯の一年でありますように。


フォレストファーム 佐藤 力